民国103年(西暦2014年)映画KANOは3億4000万の興行収入を達成、同じ年、竹北光電産業会社日本語翻訳担当の盧雅羚は、外地での十数年の職業生涯を終わらして、嘉義市へ戻り、年老いた自分のお父さんが経営している家の店を手伝えます。
新台湾餅舖の初期は日本統治時代1901年まで遡ります、日本人吉田秀太郎が経営している「日向屋」は、当時日本皇太子が台湾に来られる際の御用菓子の指定店となります、日向屋の美しい姿は映画KANOで再現されました。光復後盧福が経営を引き続きます、正式に店舗名を「新台湾餅舖」と改名、且つ特別に日本和菓子大師新見幸一を店舗駐在指導として雇いました、日向屋の全ての菓子を再現するため、神木羊羹、日本饅頭、ブッセ等菓子を含みます、それぞれが日本人職人の意思と技術を継承し、それぞれが日向屋の歴史物語を運んでいた。
今の新台湾餅舖は盧福の2代目雅羚の父親盧昆常が経営を引き継いています、お父さん盧福の「持味に忠実、師の教えは自然となり」精神を持ちまして、防腐剤無添加、豊富な餡の伝統餅は、美食家が一度で小豆、ピーナッツ、胡麻の三種類の餡が食べられます、且つ現代人の飲食と消費習慣に合わして、伝統の大餅を繊細な手土産に改良、今では特定の祝日祭日を待たず、人々は新台湾餅舖に来て歴史美味を持つ糕餅(ケーキや菓子)を持ち帰ることができます。
民国35年(西暦1946年)の創業から今、新台湾餅舖は台湾71年の歴史時代の交代を立ち合って来た。外の環境が如何に変貌しても、新台湾餅舖が変わる事ないのは家族の助け合い、供に努力する精神です、この小麦粉、家、嘉義に対する堅く守り不変の感情、ちょうど今盧昆常から娘盧雅羚へ渡す所、噴水ロータリーの側で引き続き温度を保ちながら発熱しています。