嘉義市民の信仰の中心
城隍は城隍爺とも呼ばれ、地域の守護神を象徴しています。城隍廟は嘉義市民の信仰の中心であり、古くから人々とともにあり、香火がこうこうとともされています。
創建:今から300年ほど前の1715年(康熙54年)
現在の堂:1936年(昭和11年)に再建が開始され、1940年(昭和15年)に竣工
城隍廟は1715年(康熙54年)に創建され、1732年(雍正10年)に修築されています。1764年(乾隆29年)に堂がところどころ傾き、崩壊のおそれがあったため、新任の邑宰・張所受によって修築が行われました。現在の城隍廟は泉州渓底派の職人・王錦木が中心となって再建したものであり、その建築は華麗であり、構造は壮観です。また、木彫芸術に対しても特色があり、拝殿の八卦藻井、本殿の軒廊と次の間の組物にはくぎを使用しておらず、匠の技が詰まっています。
城隍廟には台湾の城隍廟で唯一皇帝から下賜された「台洋顕佑」、太子太保・王得祿が献上した「道宏化育」、知県・張所受による「重建城隍廟」、知県・范学恒為が香灯の資金を工面した碑、晉江・龔道南が献上した大そろばん、知県・王廷幹が陰霊堂建立した際の碑、教諭・蘇鳳藻が献上した「赫声濯霊」、台澎掛印総鎮・章高元が参将・周立得らを率いて献上した「除暴安良」など11点の清朝時代の非常に貴重な文化財が残されています。
泉州渓底派の職人玉錦木が中心となって再建され、伝統建築の特徴を備え、典型的な街路に面する堂配置の華麗な建築です。三川殿は精緻で洗練されており、拝殿の装飾は非常に巧みであり、本殿は荘厳この上なく、構造は壮観であり、秩序ある空間の美しさを呈しています。拝殿の水車堵は左右両面に細やかでリアルな交趾焼の傑作があしらわれた陳専友と林添木の二人の巨匠による作品であり、高い芸術価値を持っています。門神の彩色画は名匠・陳玉峰によるものです。堂内の神像、棟飾り、彩色画、石彫、門神、木彫などはどれも精巧に作られています。