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嘉義仁武宮
人文古蹟
7920 更新日:111-10-17

香火鼎盛的市定古蹟香火がこうこうとともる市指定史跡

明の永歴年間に鄭成功が台湾を拠点に清朝政権の打倒を志し、その時に大陸の漳泉の先人が大挙して台湾に移住して開墾しました。その際に泉州府同安県の者が保生大帝の神像とともに台湾に来て開墾し、その庇護を求めました。1673年(永歴27年)、鄭は西征に際し、鳳山(現在の高雄県仁武郷)で駐屯する仁武鎮の部隊を諸羅(現在の嘉義市)に移動させました。その時に泉州籍の将兵も保生大帝の神像を諸羅に迎え入れ、軍民の守護神としました。1677年(永歴31年)に将兵が小さな祠を建立してこれをまつったのが仁武宮の始まりです。その後1701年(康熙40年)に諸羅の知県・毛鳳綸が堂の建立を提唱し、主神が当時の仁武鎮の将兵によってまつられたことを記念して仁武宮と命名され、嘉義地区最古の保生大帝をまつる寺院となりました。

仁武宮建立後、雍正、乾隆、嘉慶、道光および咸豊の時代に繰り返し修築や増築が行われました。1938年(昭和13年)、市尹・川添修平(生没年不詳)が皇民化政策を推し進め、市内63の寺院を廃止する命令を下し、すべての寺院の資産が没収されて日本人の所有となり、仁武宮の神像も城隍廟に移されて日本人・伴八郎が所有することになり、あわせて南和商行が設立されました。これによって仁武宮の大量の文化財が破壊つくされ歴史的文化財の保存における大きな損失となりました。
1945年(民国34年)に第二次世界大戦が終了し、嘉義の有力者が資金を集めて仁武宮の財産権を買い戻し、堂を再建しました。1947年(民国36年)元日、再び保生大帝を迎え入れて安置し、仁武宮復活の祭祀が行われました。1961年(民国50年)には再度修繕され、前殿の壁と屋根を改修し、またコンクリート柱の四柱亭、左右の壁廊、拝殿を新築しました。本殿内の梁と柱は原木柱にコンクリート柱をつないで混用しています。

仁武宮は力強く、飾り天井、屋根の色とりどりの琉璃、剪粘の花鳥人物は生き生きとしています。現在の仁武廟は全体がクスノキで構造され、保存価値が高く、文武門神は大家・潘麗水が描いたものであり、芸術的価値を備えています。度重なる修築によって元の姿は失われていますが、彩色画、石彫、木彫、泥塑、屋根飾りは非常に精緻で堅固であり、装飾天井は力強さが溢れています。

仁武宮内には1850年(道光30年)の石香炉が設けられ、かつては大道公神がまつられていました。堂内の薬籤にご利益があるとされており、多くの人がおみくじを求めて訪れています。寺院によると、自分が保生大帝の義理の子であると考える者も多く、これは一種の民間の風習であり、神による治療を求めていると伝えています。

交通資訊
23°28'53.62680" N 120°27'2.92320" E
観光地 資訊
狀態

開放中

開放時間
木曜日 06:00 ~ 21:00
  • 土曜日 06:00 ~ 21:00
  • 金曜日 06:00 ~ 21:00
  • 木曜日 06:00 ~ 21:00
  • 水曜日 06:00 ~ 21:00
  • 火曜日 06:00 ~ 21:00
  • 月曜日 06:00 ~ 21:00
  • 日曜日 06:00 ~ 21:00
電話 05-2276283
古蹟分級

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