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福康安紀功碑
人文古蹟
4543 更新日:111-10-17

乾隆帝御製の紀功碑

福康安紀功碑の評判は高く、石碑は石の亀の上に建立され、非常に壮観です。中国ではこのように石の亀を土台にして石碑を建立することはよくあることですが、台湾ではあまり見かけず、台南などでいくつか残されているにすぎません。また、希少価値があるというだけでなく、より重要なのは、この碑が台湾の重要な歴史の1ページである「林爽文事変」にかかわるものであるということです。ことに諸羅県はこの事件を機に皇帝から「嘉義」の名前を賜り、台湾の地名で唯一皇帝が自ら授けた特例です。

1786年(乾隆51年)、林爽文は彰化で挙兵し、彰化の知県を殺害したうえで南下して諸羅県および鳳山県に攻め込み、台湾全土が一時騒乱状態に陥りました。それに対し、台湾総兵・柴大紀が奮戦し、台南府城を守り抜いただけでなく、1787年(乾隆52年)1月に諸羅県城を奪還しました。ところが林爽文の部隊は体勢を立て直した後、諸羅城を包囲し続け、戦いはし烈を極め、情勢は極めて危険な状態でした。

同年10月、乾隆帝は戦功を立てたことがある福康安将軍を援軍として台湾に送り込むと、林爽文を撃破し、諸羅城の包囲を解きました。諸羅城の軍民の守城の義勇を嘉尚し、地名を「嘉義」に改めました。1788年(乾隆53年)、皇帝が10基の紀功碑と亀の台座を御製して福康安の戦功をたたえました。そのうち満州語と中国語で4基ずつ刻まれ、残りの2基は中国語と満州語で刻まれました。そして中国語と満州語で刻まれた1基を嘉義に、残りの9基を台南府城に建立する予定でした。

ところが碑と亀の台座がアモイで完成し、台南府城の港に輸送して荷揚げしている際に、不注意で亀の台座1基を港に落としてしまい、砂岩でレプリカを作って嘉義に運びました。碑と台座は幾度か場所を移した後、最終的に現在地に安置されました(港に落ちた亀の台座は1911年に台南の漁師によって引き上げられ、台南保安宮に奉納されています)。

福康安紀功碑の概略
大きさ:石碑の高さ310センチメートル、幅143センチメートル
形式:額刻御製、双龍文飾、龍紋ふち装飾、満州文字漢字併記
建立:1788年(乾隆53年)

交通資訊
23°29'0.37680" N 120°27'50.62320" E
観光地 資訊
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開放中

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